2009年01月24日

迷うところの話

 それは『社会の天敵になりやすいパーソナリティー障害』が切っ掛けになって始めた『人格障害者から受ける被害から身を守るために』のデータであるが、ここではDSM-IV-TRの判断基準を基に定義された者を土台としてとりあげている。

 『人格障害者から受ける被害から身を守るために』では、取り始めに、各障害のモデルについて取り上げていっている最中であるが、これは基本を押さえるためであり、全体図を把握できるようにするために取り上げていっている。

 ここで問題になるのは、現実ベースにおいては、パーソナリティ障害を引き起こしている人物の設計図を紐解けば、1つの人格障害に止まらず、2つ以上の併合症や合併症や認知障害などが含んでいる事にあり、社会における問題を引き起こしている原因の一つとして、パーソナリティ障害を引き起こしている人物の対人関係を紐解けば、その生態系スールでは他のパーソナリティ障害を引き起こしている人物との共生が成り立っており、他のパーソナリティ障害と競合ないし生存競争を行っていることにある。

 そういった問題上、『人格障害者から受ける被害から身を守るために』では一通りデータを挙げていく予定にしている。

 しかし、ここで問題点として挙げられるのは、パーソナリティー障害を持つ多くの人々に見られる傾向は、2つ以上の併合症や合併症や認知障害などが含んでいる事にある。

 特にBDPの場合には、人格ベースが不安定であるために併合症や合併症や認知障害などに大きく影響されやすく左右されやすい。

 またシゾイド系である場合、精神病理になれば統合失調症になるわけだが、『こういうときに困る話』で取り上げたように、たいていの分析的臨床家は今もシゾイド人格障害統合失調症型、そして回避性パーソナリティ障害という診断をシゾイド性格の非精神的バージョンと見なし、統合失調症、統合失調様障害、そして統合失調−感情障害という診断をシゾイド機能の精神病水準と見なし続けていると言う。

 統合失調症といえば、『結局、困った話』で取り上げたように、精神病理のうち難問となっている研究の1つとして昔から重点的に研究されてきたが、分子レベルの研究が可能になった今でも、まだ解明されていない。

 昨年の12月のディスカバリーチャンネルの人間科学の特集では、凶悪犯罪を科学で検証された特集のうち、連続殺人犯の原因として統合失調症が槍玉に挙げられていたが、これは大部分の脳の損傷が至ったために生じたもので、前頭葉の大部分が破壊されたために生じたものであると報告されている。

 しかし、私から見れば、元の人格境界性人格障害から妄想性人格障害や失調(統合失調)型人格障害を引き起こした末に脳の破損によって統合失調症に至ったのではないかと試算した推測がある。

 凶悪犯罪において統合失調症が槍玉に当てられる経緯については、物理で考えれば完全否定できるものではないから、私には「可能性がある」としか言えない。

 しかし、統合失調症が引き起こすものではなく、統合失調症は脳を調べる事によってわかるだけあって、それはあくまでも脳システムのバイバスによる障害であって、因子は個人が持つ人格障害から発する。

 即ち、統合失調症そのものが問題を引き起こす真相犯人ではないわけで、統合失調症はそれはあくまでも脳システムのバイバスによる障害であって、因子は個人が持つ人格障害から発するから、真相犯人は個人が持つ人格障害である。

 とはいえ、現実ベースでは、統合失調症の系と人格障害の兼ね合いから発している問題が大部分にいえる話で、大きな問題を引き起こしているものの大概のものにはこれが言える。

 それに対し、統合失調症の系と人格障害の兼ね合いから発している問題ほど大きな問題沙汰とはならないが、シゾイドの系から問題が発生していることもある。 − これには障害になるかならないかは個人の対応によって大きく異なる。

 これらのことから、本来なら平衡してみていったほうがよいのだろうが、境界性だけでも複雑な系となるから、気が遠くなるほどの作業が必要となり、面倒なものとなる。

 人格障害についての専門書である場合、たいていは包括されて記述されているが、理学的にモデルとして整理していくと、かなり複雑な系であることがわかる。

 特に境界性では統合失調症を患っているケースもあることは知られるあたりである。

 統合失調症は、専門課程では昔から精神病理として有能な研究者が研究してきた統合失調症についても、現在は脳科学や脳医学の系において研究が行われている仮定である。

 困ったことに容易に手に入りやすい安値でお手軽な科学書では、実際は脳の損傷から発生するものであるのに、「後ろの幽霊は統合失調症」などといった容易に扱っているものがあるため、統合失調症について大きな誤解を生んでいる。

 先にも挙げたように、たいていの分析的臨床家は今もシゾイド人格障害統合失調症型、そして回避性パーソナリティ障害という診断をシゾイド性格の非精神的バージョンと見なし、統合失調症、統合失調様障害、そして統合失調−感情障害という診断をシゾイド機能の精神病水準と見なし続けているぐらいだ。

 統合失調症といっても、脳のシステムの一部の破損で生じる障害であるので、統合失調の系は複雑な系となっている。多くの人々は脳神経系の破損というのがどのような意味を示すのかよく理解できていない。

 例えれば、半導体やコンピューターのシステムと同じで、一部の破損で障害が生じる。特にそういった技術は模擬された代謝工学による技術なので、人体の神経伝達も機械の情報伝達と類似している。

 人体の場合、脳内にある脳細胞は再生が出来ない事で知られる。だから、一度破損してしまえば治療するのが難しいものとなっている。

 統合失調症そのものが問題を引き起こす真相犯人ではないわけで、統合失調症はそれはあくまでも脳システムのバイバスによる障害であって、因子は個人が持つ人格障害から発するから、真相犯人は個人が持つ人格障害であると仮定すると、平衡してあげていったほうがよいのかもしれないが、そうなると、とんでもなく大掛かりな大系となる。

 これをやってしまうと、いくつものスケールが重複する大系が幾つも重複する事になり、スケールの設定でとてもわかり辛くなる。

 このため、現在では、統合失調症についてのデータは差し控えている。

 何分大掛かりなものであるので、整い次第取り上げる予定にはしている。


 大変な作業になるだろうが、地道に、ぼちぼちとやっていこうと思う。

posted by 0≠素子 at 15:21| 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

社会の天敵になりやすいパーソナリティー障害

 ネット事情や社会で問題を引き起こす原因を突き止めるために、リサーチを行い初めて、およそ10年…。

 行動科学のプロファイルの知識や技術というのは、80年代から登場しているので、当時から直ぐに情報収集して対処するためのノウハウとして取り入れたものだから、私にとってはそれを駆使する事は難しい話ではなかった。

 問題を引き起こしている人物のプロファイルの分析や認知行動パターンの分析は、私がPCを使いはじめて掲示板を使い始めたおよそ11年前当時から密かに行っていた。

 当初は、まだ根拠とする学術上のデータベースが揃っていなかったので、それまでは保留としながらも、リサーチを行っていた。現在の段階では、知識が統一されておらず定義について整理が成されていなくても、経験値によるデータから、妥当な見解を割り出すことが出来る。

 ネット事情や日常の社会問題を引き起こしている原因として、パーソナリティー障害者の認知行動が原因となっているのが80%で、認知発達障害者の認知行動が20%に相当する。

 無論、パーソナリティー障害には合併症や認知障害も伴う事もあるので上記の割合にしている。


 社会において大きな問題を引き起こしているものの大概が、パーソナリティー障害者の認知行動が原因となっており、第一の問題としては、反社会性人格者(antisocial personality disorder - APD)で、社会的規範に従う能力の欠如をさし、継続的な反社会的行動や犯罪行為によって特徴付けられるが、犯罪性とは同義語ではない。一般的には逸脱性を示す。

 また、統合失調症様障害においては、米国において連続殺人事件を起こした受刑者の研究から、脳の損傷によって人間性や人格を失い、事件性に発展した報告もあるので、ここでは参考程度に一例としてあげておく。(尚、この報告には検討が行われていない状態でディスカバリーチャンネルで報道されている。)


 パーソナリティ障害者には合併症や認知障害も伴う事もあるので、個別にプロファイルの作成が必要となる。

 特に、境界性パーソナリティ障害(以後、「BDP」と省略)においては、合併症や認知障害も伴う事でよく知られる。複数の人格障害を持っていることもある。最も最悪なケースが、一例として、「反社会性人格障害+BPD障害者」「APD+BPD障害者」「BPD+AD/HD障害者」「BPD+統合失調症障害(SD)」「BPD+妄想性人格障害(SPD)+AD/HD」など、複数の人格障害を多数持っていたり、認知障害を持っている事がある場合である。

 単体の「BPD」では依存してしまうことから、環境が悪ければ被害者から加害者に転じやすい。

 特に一部のBDP当事者は「搾取・改竄・捏造・偽装」し「踏み台」や「捌け口の的に当てる」常習犯であり、私欲を満たすために平気で虚偽を行い目的を達成しようとする。

 まず、一部のBPD当事者は自我が強く、まず自分が悪いとは思わない。必ず人のせいにする。そして現実の状況を正しく理解できない。これは欲望や煩悩が捨てきれないところにあり、欲望や煩悩を捨てきれずに、物事を捻じ曲げても目的を達成しようとするから、BPDという障害を抱えている。

 たとえば、一部のBPD当事者が無いものを他者が持っていたとすると、その人物になりきろうとする。その人物になるために、文学・芸術系の作品やアダルトコンテンツなどで、「搾取・改竄・捏造・偽装」し「踏み台」とする中、嫉妬なども重なって「捌け口の的に当てる」常習犯である。

 一部のBPD当事者は自身の敵である者は、悪者として指定し「搾取・改竄・捏造・偽装」し「踏み台」として、自身の憎悪の「捌け口の的に当てる」常習犯であり、自身の欲望が満たせるように都合よく物語を形成する。

 問題となるのは、BPD当事者は「表向きには善人であることを装う」偽善者で、不自然と思われるほどの「必要以上に善人であることを強調」する。

 その上で、「モデルとした当事者になりきるために」、モデルにした当事者を悪者になるよう汚染情報を流したり、都合が悪くなればモデル当事者に的を向けるように捏造する。立場が悪くなり、対応できない問題が対処できなければ当事者を楯に出す習性にある。

 そして、周囲には、私欲が満たせるように、平気で嘘をつく。

 これらは判断基準においては複数の人格障害を持っていたり、合併症を引き起こしていることも多く、認知障害も伴う事もあるので、BPDの専門書においては、判断基準別に示さず、包括して記述している事が多い。

 いわば、重度の人格障害を持っている場合のBDP当事者は「搾取・改竄・捏造・偽装」し「踏み台」や「捌け口の的に当てる」常習犯であり、私欲を満たすために目的を遂行するその道のプロともいえる。

 一番被害を受けるのは、道具にされた当事者で、覚えも無い事で周囲に攻撃され、ASDやPTSDなどを被らされる事などは日常茶飯事である。当然、道具にされた被害者である当事者も自身の身を守るために攻防に入る。

 その次に被害者となるのは騙された人々となる。真実がわかって、事件性に発展することなども日常茶飯事で、タイミングがぴったりと合う事から、自殺や事件に発展する事も多いのではないかと見ている。

 多くのBPD当事者は、日常生活においても、問題を引き起こしていることが多い。例えば、私欲の矛先を「呑み事とギャンブル」に身を置くことで私欲を満たすパターンを示す人格者で、呑みごとやギャンブルに依存してしまうケースである場合、借金を容易に増やしてしまい、家族を平気で傷つけて精神的苦痛に追い込んでしまいがちになることから、家族を重度のC-PTSDに至らしめることもある。

 このようなケースから、C-PTSD当事者とBPD当事者の紛争が行われ続けるケースさえよく見る。


 勿論、そういった紛争の中で、対応者の対応によっては、次第に障害が淘汰され、障害となさないケースもありえる。

 また、「BPD」単体だけなら不安定となるだけであって、「BPDそのもの」が悪いというわけではない。


 複数の障害を持つBPD当事者が引き起こす問題については、「誰かに依存しようとする」癖を誰かが容認してしまうことからにあり、「自立できていない」ことにある。 − つまり、認知発達の過程で言えば、3歳児から止まっている状態で成長しているという話になり、その成長過程には「依存しながら生きる方法」を学んでいる事にある。

 結論から先に述べれば、複数の障害を持つBPD当事者の辞書には「自立」や「自己責任下」という文字が全く存在しない。それは、生まれてから一度も経験していないからである。

 こういったケースの問題解決には、完全に離別するしかない。


 認知発達障害者の認知行動である場合、易しく説明しても理解できずに意思を一方的に押し付ける傾向にあるため、当てられた個人や社会が迷惑を被る事がある。

 認知発達障害者が被害を引き起こす原因は、現実や物理を理解する事が出来ず、誇大したり、肥大したものを作っては押し付ける傾向にあることだ。

 しかし、認知発達障害者の認知行動は未発達による原因だから、認知行動パターンが限られるため、パーソナリティー障害者が引き起こすような致命的な障害は引き起こさない。

 問題は、認知発達障害者はBPDを筆頭とする多くのパーソナリティー障害者(全てではない。8/10程度のもの)に利用されてしまうケースに至り易いという事である。


 以上のことから、私自身も彼らに被害を受けてしまう状態でもあるため、問題解決のために、BPDについての学術上のデータを取り上げていくことにする。

 即ち、11年前より加害され続けたため、復讐の障害を持つBPD当事者である加害者と離別するためにデータを取り上げるということである。


 私がこのような行動を取るのも、それなりの理由というものが存在する。

 私がこのような行動を取るのには、許容範囲以上の被害を受け続けてきたからであって、普段は切れることが無い私でも堪忍袋の緒を切らせるだけの被害を受けたからにある。

 また、これ以上、社会に被害を生み出さないためのものでもあり、被害を受け続けた当事者が身を守るための攻防そのものでもある。

 大概は文学・芸術系の作品で扱われる事が多く、特にアダルトコンテンツでは、いじめなど嫌がらせに当てられて製作されることが非常に多く、過去に遡るほど酷いものが存在する。

 それは都市伝説から始まったものだから気がついたときにはわけがわからないような状態に至っていた社会問題だったが、現在に至るまで整理が行われており、現在では系列に分かれているのがわかる。

 そのような流れの中でわかってきたことは、社会において大きな問題を引き起こしているものの大概が、パーソナリティー障害者の認知行動が原因となっているということである。


posted by 0≠素子 at 17:18| 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

一概には言えない。

 下記の論文を拝見しました。

### 参考にした論文 ###
Can Playing the Computer Game “Tetris” Reduce the Build-Up of Flashbacks for Trauma? A Proposal from Cognitive Science』 - 研究の詳細。PLoS ONE

 上記の報告は、健全者や比較的軽いASDやPTSDには有効ですが、被虐待児などに診られるC-PTSDなど、重度の傷がある場合には、有効ではありません。

 この実験でテトリスが有効であったのは、仮想上で凄惨な映像を12分間見せたからで、ストレスの可逆性の殺傷性が、テトリスの速度を上げる重圧を跳ね除けるアースとなり、脳内の容量をゲームに集中させる事が出来たために軽減できたと考えられます。

 凄惨な映像40人の被験者に、事故による負傷や死亡など、凄惨な映像を12分間見せた。−とありますが、おそらく、その映像は、一時期民法で放送された凄惨な映像特集の特番やネット上にも見れる凄惨映像レベルの程度のものだと思います。

 研究成果の内容から、おそらく、一般の被験者に当てられたものだと考えられ、重度の障害に悩まされている者を対象とされた研究ではないと思います。

 重度のC-PTSDやPTSDである場合、関連するキーワードが映像内にあった場合には、外傷を受けた当時のものを再体験してしまうため、ゲームが出来ない状態に陥る可能性もあります。

 また、実生活での体験が絡んでいる場合には、条件反射など、自律神経系にも記憶されているため、その分の生体構造内で生じるストレスも発生します。

 このため、被験者の状態によって、脳内の仮想だけの影響なのか、実体験から脳や神経系全体に記憶された傷であるのか、これだけでも現象の起こり方が違いますし、一人の個人を診て行くだけでも、個人の生活の流れ上でのそのときの立地条件でもフラッシュバックの経路が違ってきます。

 したがって、ミクロスケールでの流れを見ていかなければなりませんが、これには脳科学や生物学的な知見も必要とします。

 C-PTSDなら尚の事、複雑性PTSDと言われるだけあって、一度のフラッシュバックが関連するフラッシュバック因子へ次々と転化されていきます。

 例えば、重度のC-PTSDである場合、フラッシュバックが起きたときには、時間の制限に関係しない「ソリティア」が有効で、脳の領域をデフォルトにする際に役立ち、パラダイムチェンジには「フリーセル」が有効です。

 しかし、フラッシュバック時はストレスが生じさせるゲームは出来ません。また、ストレスの可逆性で生じる殺傷性エネルギーのアースには殺傷性の高いゲームは、PTSDやトラウマなどにフラッシュバックする可能性があるので有効ではありません。


 フラッシュバックが生じたときには、フラッシュバックするPTSDやトラウマ回路を使わずに、デフォルト状態、ないし、パラダイム・チェンジする事は、障害を重度に至らしめるのを最小限に食い止めることは事実とは思います。

 しかし、生体構造は複雑な構造を成していることから、個人が生まれ育った環境(特に胎児期から幼児期までが土台となる)で左右し、同じ環境にある家族(兄弟)であっても置かれている立場によって個々に違ってくるため、より構造的、且つ、よりミクロな分析や予測が必要とされます。

 参考とされる研究者においては、個人的には、ピアジェやN.マックウィリアムズ以上の小さなスケールが必要となると考えます。

 私は被虐待児二世で、重度のC-PTSDの障害だけで止めていますが、専門課程の科学書には、私のプロファイルに該当するパターンが存在しないところを考えると、おそらく、人類にありえるプロファイルの体系がまだ揃っていないのではないかと想定しています。



 
posted by 0≠素子 at 05:59| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

トラウマはトラウマを呼ぶ

 基本的に、大きなトラウマを持っている人物は、トラウマに敏感で、ラウマ因子が環境にあれば、自身の中にトラウマ因子があるだけ、トラウマに共鳴するように強く引き付けられることがある。

 そんなわけで、テレビを何気なく見ていて、ちと気がついたのて次に示す。 − ここでは「個人が抱えるトラウマに関する問題」として、問題解決していく上で、物理を直視するために、取り上げていきたい


▼『D.grey-man』 #46

 グローリーのトラウマは、一般的に見られるトラウマに対する認知行動パターンに当たる。

 また、本日入手した、「やはぎでんでん」さんの『歪んだエピソード』で描写されたトラウマの心理構造もこれにあたる。 − *(この作品を読んで、学術上にも取り上げられることがない、私のような稀なタイプもあるため、稀なタイプとの違いを纏めようと考えた。その矢先に、本エピソードが放送されたので気がついたことをまず取り上げてみた。)

 これらに対し、自分の場合は、稀にあるトラウマに対する認知行動パターンにあたり、グローリーのパターンに当てはまらない。(因みに過去のエピソードからすれば、私はグローリーに該当しない。)

 このように書くと「一致しないから」と誤解する人がいるかもしれないが、これは物理上の構造を見ているだけだから、「一致する」「一致しない」が問題ではない。 − ここを履き違えないでほしい。

 本件では、トラウマ問題の本質を見ているのだから、ここでは、一般的なケースにあたるグローリーのトラウマに対しての認知行動において、中には、私のような稀なケースがある、ということを取り上げている。 − いわば、物理構造の整理をするに、メモ代わりに纏めた物が本ページとなる。 

 即ち、ここで、一定化させると、固定観念から見間違う危険性があることを指摘することも出来る。

 「私のような稀なケースがある」とは、一般的には、逸脱性な要素を含む認知行動パターンでよく取り上げられるメカニズムに相当するもので、一般的には逸脱性な要素を持っていることから事件に発展しやすいものだが、(幼児期までの成長期の段階で、「理屈付けの位置づけを行う母親の教育の仕方」や「自身の経験値」で、正常な認知行動がとれるようバグフィックスを当てられているので)それにもあたらない、逸脱性を示す認知行動パターンではない、(逸脱性要素を含まない)正常な打消しの演算のパターンにあたる。

 もし、自分がその手のフラッシュバックを引き起こせば、『アカギ』ないし『天:通夜編』のアカギでも現されたように、(トラウマのフラッシュバックから「自己の存在を消したい」する自己殺傷傾向が発生すれば)衝動的にチキン・レースでもやってしまいたくて、どうしようもなくなる傾向にある。 − ここでは寂しいだのそんな生易しいレベルではなく、自己を殺したくなる。しかし、胎児期に自身の内面にある「自我や利己的本能を殺す方法」を覚えていることや、その行為が家族や周囲の人々を傷つけてしまうことを幼児期のときに学習しているので、個人研究の一環でもしない限りは、日頃はそんな内面にある心情は一切出さない。

### 参考として ― 最近あったトラウマ問題 ###
一例:『訂正と結論

 グローリーのパターンは、現在社会問題になっている、育児放棄や育児虐待を受けた経験者にも見られる典型例となるが、実際のところ、ごく普通の一般家庭にも生じるもので、父親と母親が揃っている普通の家庭でもそれは引き起こる。

 原因は〔親子の「絆」〕が築かれなかったために生じるもので、家族機能が正常に機能していない場合にこれは生じる。

 しかし、これは環境によって生み出されたものに過ぎず、胎児期からの発達の段階で構築されてしまったものに過ぎないのだから、「そのもの」について優劣を示すものにあたらない。

 このため、認知上では、生きている人「そのもの」について優劣をつけるものではない、と、私は考える。 − この考え方は、生物学の知見からであり、医学ではなく、生物学から見た生命倫理に基づいたものとなる。


フラッシュバック因子において

「存在することで迷惑をかける」=「自分は存在しない方がいい」

というトラウマが発生する原理としてのパターンは同じであっても、そこから先に掛けられる演算、ないし、カオスにあたる変数などは、個人が生まれ育った環境の経験値に帰属し、十人十色で個々別に違ったものになる。


自分の場合は、被虐待児の二世であるので、第一世代と第二世代の間に生じた流れで変数がかかり、第三世代では、立地条件によっては、稀なタイプが生じる場合があるのだが、自分はこの稀なパターンにあたる。

 この立地条件が、「母親に知識が高く育児に対する資質が高かったために恵まれており、十二分の愛情を受ける事が出来た=このため強い絆を元に認知発達する」のに対し、DV環境であった場合にそれが生じる。

 一例を挙げれば、「経済的に子供が産める環境ではなかった」など何らかの原因で子を産んで育てる環境でなかった場合である。

 ことに、「父親が母親から嫌われて虐待されて育った被虐待児で、育った環境から子が幼児期まで心底から子を嫌い虐待していた」といったケースの場合には、子は父親に対して愛着障害を引き起こす。

 この愛着障害においても、子の性別によっても違ってくるので、フラッシュバックする因子から生じる原理は一貫性があるメカニズムであっても、そこから先の情報処理ないし認知行動パターンは(C言語のプログラミングと同じようなもので単純なプログラムに相当するが)、(演算法は)立地条件によって異なるため(非線形で考えなければならないから)カオスとなり、多種多様で千差万別となる。

 このように小さなスケールでメカニズムを土台にして物理で見ていくと、目の前に見えるそれらの現象は、実際は単純な構造から成り立っていて、難しいことではないことがわかる。


 このブログは学術上で考察していく科学ブログなので、一般受けはしないが、この記事が、同じようなトラウマの問題で苦しんでいる当事者に何らかのヒントがえられるなら幸いである。また、医学や科学ベースでの研究に役立てられるものであるのなら、自身のハンディキャップを補強するために始めた、この個人研究は有意義なものとなるだろう。

posted by 0≠素子 at 20:38| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

見落とされやすいところ

 一般的に見落とされやすいところというのは、日頃の習慣性に沿って目先で捕らえて動いてしまうことにある。

 例えば、「精神科系や神経系の障害」を「疾患=病気」として捉えられやすいところで、事例やマニュアルから当てはめて対応する事によって、その現象を引き起こしている要因や、それに至った物理の成り立ちを見ようとする視点を見落としがちになることがある。

 また、カウンセリングの位置というのも、医療においてどの位置にあり何が求められているのか正しく認識して対応している専門家は少なく、これも事例やマニュアルから当てはめて対応する事によって、その現象を引き起こしている要因や、それに至った物理の成り立ちを見ようとする視点を見落としがちになることがある。 − カウンセリングに求められる事は「癒し」だけでなく、可能な結果象と確立を正確示し、「目標」を位置づけ、治療に立ち向かう「やる気」を出させる事にある。


 実質のところを言えば、ASやPTSDが発生した当時を見るにおいて、「どの時期にそれが発生したのか」「当事者における条件値がどれぐらいあるのか(内省・環境性/物理・主観性別)」「環境の状態がどうだったのか(環境における対人状態)」…など、細かく上げればキリがないほど山ほど出てしまうが、要は、それらを生む原因となる因子ごとに計算しなければならなくなる。

 例えば、DV環境での被虐である場合のトラウマと、闘病で発生したトラウマは違い、3歳を目処にすれば、そのとき保護者が子にとって、どのような対人状態にあったのかで大きく変わる。子にとっては、日頃の親の対応が運命の別れ目となる。

 また、最も見落とされているのは、健全者よりも大きなハンディキャップを持ってしまった子である場合、まず「人並みな事が出来ないトラウマ」が生じる。 − このようなトラウマは、成長するまでにノウハウを獲得し、障害を淘汰させたとしても、問題に突き当たればフラッシュバックが発生するものとなる。

 脳・神経系の障害を負った場合にでもそれは生じる。生体のメカニズムの動きというのは当事者がよく知っている筈で、日頃の生活の中で、体の営みの状態がどうであるのかで、心理気象はこれに影響し、左右する。

 特にDV環境で胎児期には被虐していた場合には、必ずC-PTSDを内在させてしまう。生まれてから成長過程の間に、トラウマやAS・PTSD因子はサーバと化するように連結され、脳神経系の傷跡となっている因子とは別の界に、生存本能のシステムに連結させる状態で、界は仮想上で組み立てられていく。 − それは、視覚脳のような、仮想上で立ち上がって作られたものかもしれないと現在考察中である。

 例えば、DV環境で胎児期には被虐していたケースで、後に闘病生活のトラウマを内在しているサバイバーである場合には、破損・崩壊したところがわかるほど、闘病生活のトラウマ因子や被虐したトラウマ因子に直結しやすくなる。

 具体的には、現在知りえている認知発達の過程や医学上の詳細データで破損・崩壊したところがわかるほど、日常生活の中で自身の体のシステムの営みがどんなものかがわかるから、闘病生活のトラウマ因子や被虐したトラウマ因子に直結しやすくなる。


 私の個人研究の1つにあたる「DV環境で被虐待児に至った場合のサバイバーの発達研究」を行っているが、それは、典型的な臨床系の営みのものでもなく、それはカウンセラーの視点からでもなく、あくまでも目標を達成するためのバイオミックスの視点からとなっている。

 自然科学系や工学的な試みから入ろうとするのは、そもそも非線形にあるからにある。内省を直視するには自身の主観性の物性の事実も(因子として)認めることは必要だが、基本的には中立的な客観性を重要とするからにある。

 どうしてこのようなスタイルをとるのかといえば、障害を持つ当事者が対応するためのノウハウ獲得のために個人研究をしているうち、生存危機に関わる因子の個人研究であるので、当然、専門知識や学術にも専門家並の知識を速い速度で得ることができるのだが、同時に、知識や技術をえるほど、何が可能で何が不可能だという事が手に取るようにわかる。

 つまりは、体のシステムの障害という物理に自身が押し潰されそうになるから、そこまで踏み込んで個人研究をやってしまおうということになる。

 仮に、これを行わなければどうなるのかといえば、やはり、体のシステムの障害という物理に自身が押し潰されそうになるから、トラウマに直結して、それに関わる障害を引き起こさせてしまう。

 そこで、一過性の解離を利用して、トラウマに直結させない、無機質な視点から入るようにしている。例えば、数理から入るというのもその1つの手段で、機械工学や自然科学に慣れてしまえば、数式からイメージを割り出すことが出来る。トラウマに直結しない因子であるから障害を起こす事無く、深める事が出来る。この試みによって対応法のノウハウを獲得できれば、当事者の内省で障害が引き起こっても、無機質な試みによる対応法でバグフィックスを当てる事も可能なのではないかと現在模索しているところにある。

 所謂、こういった動きというのが、生物進化を左右する「原理」にあたるものなのだろうが、こういった生命を生存させようとする原理は、認識しているより、より単純で且つ驚異的なものかもしれない。

 要は、遺伝子に対しRNAが変数をかけるから生じるパラダイムチェンジなのだろうが、「そのもの」は本来は限りなく単純で、且つ、驚異的な作用を生み出してきたものかもしれない。

 生体構造において、五体満足に生まれてきたのか、致命的なハンディーキャップをもって生まれてきたのかで、スタートの段階で大差が出る。その大差が出た分、トラウマの質量が大きくなる。

 「健常者の能力に満たない」とか「健常者並の対応ができない」といった、出来ない差分分のトラウマというのは、「誰にも言えない苦しみ」となって、一生抱えていくものになる。

 成人後、事故からヘルニアが最悪になったらしい闘病生活を送ったトラウマが自分にはあるが、肉体構造の障害が引き起こる限り、おそらく、これは、癒えないんじゃないだろうか…。 − 癒す事が出来るのは、おそらく、闘病生活で苦しんできた同じ経験を味わった、同じ位置にまで淘汰できている、同ノウハウを持ちえるサバイバーだろうと思う。但し、ここで言えるのはメンタル面においてのみの話であって、専門家で学術上精通している人ではない場合には、技術的な意味を含めて指すものではない。所謂ワーキングの一種のような対話や意見交換などがそれを癒すという極めてごく一部分だけの話となる。

 一般的にはケアが重要視される傾向があるが、ケアといっても限りがあり、親身になられるだけ、心配されるだけ、苦痛になりえることもある。 − 故に、サバイバーは孤独化しやすいが、これは仕方がない話だと考えられる。

 ここで勘違いされやすいところは、ストレスやトラウマは何でも悪いものだと認識されやすい事にある。本当は生きるためには適度に受ける事が生物進化のメカニズムとなるから、何でも悪いわけではない。 − 最も重要なのは「自立」という生きる対応力を生み出すことにある。

 自分は、物理の成り立ちを理解する事が最も重要だと考える。

 なぜなら、物事の成り立ちや物理の成り立ちを知らなければ、経験値だけでは見落としやすいために失敗しやすく、目標に達成できないことにある。

 目標に達成した経験は「生きる糧」になる。それを積み重ねていく事で大きなハンディキャップを抱えている者でも生きていけるようになる。

 生物学の知見では、生物の進化においては、強者や優勢に立つものに関係なく、環境にうまく対応できた生物が生き残っている。このような事実を知ることも、環境に対応して生きていくだけの「生きる糧」となるだろうと私は考える。

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2008年10月31日

性機能障害の対処法2

 先日、『性機能障害の対処法』より。

 自身を被験者にした工学的な試みによる『解離で性に関するものを完全に切断する方法』の実験は、覿面に効果があり、一切を遮断する。

 臨床の経過を見るため、本日まで時間を見た。

 同時に環境状態を観測し分析すれば、あくまでもよく物の道具として扱われる環境である以上、存在する理由もなく、完全に消滅させる事が是だと考える。


 生まれながらの被虐待児が持つ特性の『根っからの死にたがり屋』なる「自己殺傷傾向」を当事者が持ち合わせる場合、解離現象を引き起こす際に強力な効力を引き起こすが、これも至ってごく自然で物理なのだろう。



### 余談 ###

 ま、基礎科学が根付いていない場合、勘違いを引き起こして失敗されるケース、ってのは多いよね。また、工学的なノウハウがない場合、耐性計算もできずに、デメリットやリスクも計算せずに組み立てるから、失敗さしたときっての損失の痛みは大きいよね。

 エジソンのようなパターンの失敗を恐れずに研究を行える時代ってのは昭和初期までなら通用する話であって、今では工学的なノウハウを要する時代となっている。なぜなら、人間活動にはデメリットやリスクがつき物で、予めこれに対応できるように設計できてなければならないからだ。

 それは経済学界でも今世紀に学問として出てきたが、基本的に、人間活動にはデメリットやリスクがつき物で、予めこれに対応できるように設計するために、工学的なノウハウが必要とされる時代になっている。

 それは、環境問題でもみえてくる問題なのだから、いい加減、気がついてもよいのではないかと、個人的には考える。

 こういった考え方は、物事の道理だから、理屈では合っているんじゃないかと思う。個人的な感情や意思でどうにでもなるといったパラダイムの時代は、経済学史から考えると、日本の戦後から高度経済成長のバブル崩壊前の10〜20年前の間で終わっていたと考える。

 日本の経済学では経済工学が有力のノウハウだと考えられているが、海外ではどうかと言えば、米国にも経済工学があるがマニアの域でありハーバードのメジャーには上がっていない。米国は経済市場のメッカとなっているが現在の米国の経済学界は20年前より極端に低迷しており、実際に対応できるところは英国あたりで、過去の経験や実績から基礎的な経済学が英国には根付いているし、オックスフォードの方が基礎概念がまとも。

 人間活動に関連するものの一例として、例えば経済界や経済市場を見るにも、経済学や知識や技術系統は経験値によるため、この経験値がほとんどない日本以外のアジア諸国は非常に厳しい。特に厳しいのは中国で、短期間に急成長したため日本の高度成長期に発生した問題のアセスメントに対応した経験値がなくアセスメントの知見もないこと(フード&薬害問題が一例)や、人口量に対し貧富の格差に経験値から統計で想定すると難しい。

 何故厳しいのかと言えば、デメリットとリスクに対して対応できないところにある。それに、経済市場のメッカには、最悪の事態でも対処できるだけの大きなバックボーンを必要とし、それなりの資本が必要となる。

 因みに、経済学と言えば自分の元の畑であるが、高校の段階で、経済史と現代経済学とマーケティングと基礎的な商業会計…。全体図を把握するために全体を放送大学の講義や、国内外の大学レベルの専門のテキストをざっと独学しているが、流れは計算や分析を専門とする技術系を触ってきた。結局は技術系が強いということで、その流れを汲んだが、物理の成り立ちを知らなければ、厳密な試算ができない(実際の原価さえ割り出せない)と言う事で、自然科学を中心に独学を進めて早くも11年…。それと平行して工学も少しずつ学んでいたが、科学技術系の全体を網羅できている状態であるので、そろそろ工学の専門課程を独学しようなんて考えている。

 例えば、ゆくゆくは、耐性計算や設計ができるようになれたらいいな…と。

 というのは、現在の段階でも工学のノウハウは理屈上では根付いているのだけれども(設計図を見て解釈する事も出来るのだけれど)、実践的にといえば工学で使う計算はそれまでに触れてきた科学系のテキストで挙げられた数式を少し触れただけであるので、できたものを扱う場合には強いが、何かを対応するに自分で作る場合には弱い。また、材料のデメリットやリスクを入れた試算なんてこともできないことから、前々から煮え湯を飲んできたことでもある。だから、何年かかってもそのノウハウは獲得しようと決めている。

posted by 0≠素子 at 21:49| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

性機能障害の対処法

 極端な話。生きていく上では、性行為を必ずしも行わなくていいわけで、女性の場合は更年期障害で月経がこなくなるので、出産適齢期を過ぎているのであるなら、セックスレスでも良いものだと考えられる。

 極度の性嫌悪症があって性機能障害を複数持っている場合は、神経系の外傷によるC-PTSDやPTSDやトラウマが由来しているため、前にも何度か書いてきたように、研究の第一人者の医学博士でさえ、専門家でさえ難しいとされる。

 実際、生体のメカニズム上で考えても、治療するのは極めて困難であるといえる。

 しかし、性に関するものや性行為に関しない限り、性嫌悪症や性機能障害が引き起こさないところからすると、工学的な見解でみれば、根元から断ってやればいいという方法がある。

 工学的な試みによるその対策法とは、ごく簡単なもので、由来とされるC-PTSDやPTSDやトラウマに関するフラッシュバック因子となるものを用いて、画像や文面などの五感を収集できる方法で、〔解離現象〕を引き起こして、「解離性障害」の一つとされる〔「感覚」の神経経路を切断〕すればよい。

 要は、フラッシュバック因子に対し、@サンプルと蓄積されている記憶とを脳内で関連付けて、あえて障害を引き起こし、A〔これまで動作していた回路〕を【〔フラッシュバック因子〕と〔サンプル〕(状況設定や立地条件など)とを強く結びつけて】、B〔これまで動作していた回路〕を【〔フラッシュバック因子〕と〔サンプル〕(状況設定や立地条件など)とを強く結びつけて(よく認識することで関連付けして)】いるもので解離現象を引き起こしたエネルギーを使用して神経回路を切断する。

 回路の切断には、粒子の温度が低いほど量子力学の作用で切断できる。熱力学ではフラッシュバック因子がエントロピーを示す事をさす。即ち、熱力学ではフラッシュバック因子がエントロピーを上昇させた上で、量子力学上では粒子の温度を低く設定すれば、熱力学と量子力学作用の両方で神経系回路の切断が可能となる。

 具体的には、例えば、〔恋愛感情と性行為を混同して接するケース〕である場合には、〔信頼感〕や〔絆〕といったものに関するものを座標にして切断すればよく、そうでない場合には、〔性行為〕自体、或いは、〔性に関するもの〕に対して座標とし切断すればよい。


 解離現象には、神経系の決断や記憶の忘却・封印なども含まれるが、それはフラッシュバック因子とデータの質量で、導かれる結果となる現象が違ってくるようである。

 自身を被験者に臨床実験したところ、どれも可能となることがわかった。


 元は自己殺傷傾向の発生から生じたものであるが、そもそも解離現象というものは、固体自身を守るための自己防衛システムの1つであるため、療法として使えるようだ。


 つまりは、〔あえて生体構造上のシステムを破損させる〕といった、〔根元から断って完全に使えないようにする〕とした方法のものである。

 重度に至れば至るほど、容易にできる方法となる。

 この方法を行った場合、何かを失うことになるだろうが、性嫌悪症や性機能障害の苦しみ続ける事と比べれば安いものかもしれない。何しろ、置かれた環境でその状態に至ったのだから、等価分の代償として償却できるだろう。

 残念ながら、それ以外の物理的な対処の方法はないようだ。

posted by 0≠素子 at 05:12| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

皆さんが勘違いされるあたり

 よく間違えられるのが、『パーソナリティ障害』を持っていると勘違いされるところで、実際、2万円ほどするカプランの参考書を読み漁ったけれども、どれも該当するものがない。

 実際、高校の頃、悩み悩んで専門家に相談したが、おそらくこの頃は躁鬱の巣窟だった頃で、「一般よりも正常に認識している」「正常すぎるほど正常だ」と太鼓判を押されて、相手にされなかった。

 で、専門書をあさって調べたところ、それは人格障害ではなく、DV環境が原因で胎児期から被虐待児として生まれた、異性愛を全く受けることができずに巣立った被虐待児二世で、貧困層での経済的な生活苦が原因で夫婦喧嘩などでDV環境だったから、エディプス・コンプレックスも踏めずに育ったので、異性に関する対処のみが対応できないという未発達や欠落部分があるというだけの発達障害があるが、ここで言う発達障害というのは、臨床の診断で下される診断名は存在しない。

 厳密にいえば、生まれつきの被虐待児である場合、必ずC-PTSDと解離ぐらいは必要最小限にある。母に愛情を十二分に受けたからそれ以外の発生するだろう障害は免れ、2歳児には発生するだろう自己殺傷傾向というのも実際出ていたらしいが、そこは自分を育てることを生きていく支えにしていた母だけに、「死んだら生きていけないぞ」と釘を刺され続けている状態で育ち、実は今現在でも手綱を引かれているらしい。

 しかし、そういった自己殺傷傾向というのは、C-PTSDやトラウマのフラッシュバックが原因だから、脳神経系の外傷由来の障害といった神経伝達系の生理的なバグにあたるから、それは、頭痛・吐き気・胃腸の痛みが生じるのと同じような生理現象であって、人格障害に当たるものでもない。

 異性に対応する能力が得られなかったということで、結果的に、極端な性嫌悪症や重度の性機能障害に至っているので、現在のところ、画像や文面だけでもコンマ0秒以内の速さで、頭痛・吐き気・胃腸が痛むなどの発作が出ることから、実生活で生きていくには実際には非常に厳しい。

 一言で性機能障害といっても、性嫌悪症のほか、細かく言えば7種類ぐらいあるわけで、極端な性嫌悪症の他に性交痛みを筆頭とした5種類は神経系の障害が出ている、といった重度な状態。性嫌悪症が手伝って治りたくもないもんだから、通院もしていない。性行為自体に拒絶反応を示しているものであるので、性行為そのもの自体がだめだという話を意味する。この障害がおきれば、性行為自体が苦痛極まりないもので、とにかく、さわらんでくれ、といった状態といえる。

 このような状態である場合、研究の第一人者の博士でも、まず治療は難しく治りにくいとされる。何しろ、「性のない世界へ行きたい」だとか「性行為の全く無い世界に行きたい」とかいった典型例で、これだけでの「死にたい気分500%」は到達する。だから日頃から癌になりやすい因縁をあえて作るような生活をしたり、早く死ねるような環境で状況設定をいくつも作っておくといった行動に出ることもある。死に関する作品を見ても解消できない場合は、大概はそうなる。そういった極端な重度の障害を引き起こす場合の大概は、C-PTSDやトラウマが関連しているというが、自分も漏れずその一人となる。

 そういった特に酷い状態の場合には、少なくとも一般説である性行為での認知行動療法は使えない。それは、C-PTSDやPTSDが絡んでいる事にある。

 勿論、パラダイム・シフト・チェンジする方法は幾つか用意していてそれに対応するノウハウはあるが、障害が発生すれば必ず解離現象が起こるので、さらにそれぞれの脳神経系の傷害が発生し、結果的に傷害が悪化する。

 実のところ、前々からあった性機能障害が次第に悪化し、今年の5月からこの状態に至っている。

 性機能障害といった場合は、心理面における精神的なストレスが自律神経系に影響し、それが原因でホルモン物質が正常に発生しないなど、嫌気を示す事からも影響しているといえるので、産婦人科に掛かるだけでは治療が完治しない事も多い。だからといって神経科にいってもそれに効く特効薬というものはなく、一般的に使われている薬剤というのも、まず副作用というものが大きい。

 性機能障害の場合は性行為がなければ、或いは、情欲の気を完治しなければ障害が発生しないものなので、何事もなく普通の状態では障害は引き起こされることなく日常生活には影響しない。しかし、PTSDやトラウマのフラッシュバックの場合は、キーワードとなる因子に触れた場合にフラッシュバックを引き起こすものなので重度に至るほど、日常生活を送るには非常に難しいものになる。

 C-PTSDたトラウマのフラッシュバックというのも、これが発生すれば、当事者としては、フラッシュバックで生じる苦しみや〔死にたい気分200%〜300%上昇〕での自己殺傷傾向が衝動的に発生するから、実生活で生きていくには実際には非常に厳しい。

 だから、人間味のない科学や技術の世界に身を投じては気分転換をしている。主観性に全く頼らずあくまでも客観性で行うから、パラダイム・チェンジも容易にできるようになるだけに気が楽となる。

 しかし、リスクを抱えたままでは、ハンディキャップが大きすぎるという事で、それを何とか個人研究で対処法を見出す事ができないかということで、暇さえあれば、科学や技術の情報を入手する趣味を兼ねてリサーチを行う事にしている。

 それは日経Sienceに取り上げられたピロリ菌についての論文を発表した研究者が、実は自身がピロリ菌株を持っていた当事者で、自身のピロリ菌を使って研究したのと同じようなものなのかも知れない。原因や物事の成り立ちを知るというのも、収穫があれば、対応策の目明日がつけられるなどした、大なり小なりの幸福を得ることができる。


 自分が専門医に頼って通院しないのは、外傷由来の脊髄系の疾患(ヘルニアに脳髄液減少症になりやすい)があるため、有効とされる薬物が使えないことや、性機能障害も持っているのもあって、有効とされる薬物が使えないことにある。

 薬剤治療以外の療法は、調べてみれば、既に実生活に役立てているものが殆どだから、通院していない。

 また、回復できるのは、生体構造の治癒能力の周期などを知っているところにあり、適度の栄養摂取と、適度の運動と、適度の睡眠に、ストレスを必要以上掛けないように努力することで、大幅改善できる。

 また、脳内のエラー現象が原因である場合は、インターネット接続のメカニズムと同じでフラグが立っているのと同等だから、一度切断して立ち上げるとの同じように、睡眠をとればまた元に戻るという利点もある。

 専門家に頼るというのも、治療で何が必要かということがわかっているだけ、今のところ自力で対処できる状態だから、たとえ酷い躁鬱になっても自分で対処できる状態なので、通院はしていない。


 まぁ、現在のところ、悪い状況といったわけではないのだけれども、未だに構造を知らない状態で見た目で決め付けられたり、実際には当てはまらないものであるのに、一般的には多いために決め付けられるといったケースがまだ頻繁にあるらしいことが今のところわかっている。

 誤解を受けるというのは、個人研究をするにも、何かと弊害があるので、念のため、補足的な意味合いで今回取り上げた。

posted by 0≠素子 at 00:33| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

ムッと来たわけじゃないけれど…(2)

 誤解を受けないためにも、私的な見解を述べておく必要があるかと思うので、『CPTSD/人格障害の自覚・病識のある方へ - 蒼穹』について、昨日は『ムッと来たわけじゃないけれど…』で、被虐待児だった父や自身が内在しているC-PTSDについての自身の見解を取り上げてきたが今回は、人格障害(パーソナリティー障害)についての見解を示していこうかと思う。

 一般的に人格障害といえば、〔病気〕といった見方をしている人々が多いが、心理学では〔人格〕という言語を持ちいらずに〔パーソナリティ〕という言語を用いている。これには、現実には人格の障害を持っている人々が非常に多い現実に対し(現代社会に生きるヒトは殆ど含まれるかと思う)、従来の〔異常者〕といったような固定観念や誤解を避けるためのものであり、倫理に根ざしてこれが用いられるのだろうと思う。

 実質のところは、生物学的には固体における各生体機能の〔バグ〕や〔エラー〕にあたり、それは、〔成長過程で築かれたバグやエラー〕や〔経験値によって生じたバグやエラー〕にあたる。運命を左右付けるものは遺伝子上の〔性質〕や〔物性〕に反映されているものだと考えている。

 一般的に病気と課程付けられているところは、『利己的な遺伝子 <増補新装版> 』で御馴染みのリチャード・ドーキンスがよく引用する生物学上の知見の〔利己的な性質〕が〔人間社会の環境に対応できるように、利己的性質が淘汰できなかったために生じるもの〕であって、その原因は、〔煩悩〕であったり、〔欲望〕であったり、〔願望〕であったり、〔執着〕であったりする。

 生物学上で見ていけば、人類以外の生物が生息している環境内で、生存競争を通して、環境から与えられている分だけで生きていくしかないのに対し、人類が構築した文明は、実際には〔野生動物と同じく、ヒトも、過酷な自然環境の中で生存競争しなければならない位置にあった〕のを覆したことから、〔あるだけのもので満足する〕といったものや〔ないものは仕方がないのだ〕といった、〔執着〕を断ち切れず、理想を実現し続けてきたことから、〔環境に対応する能力が退化したもの〕であって、一種の認知行動パターンの障害かと考えられる。

 しかし、それらは、やはり、病気ではなく、ビッグバンから始まった宇宙進化の過程上の中の、生物進化の過程上のある一つの結果だと考えている。

 心理現象を、ヘーゲルは『心理気象学』と題して、〔心理は気象学のように振舞う〕といった科学理論があるが、心の病気とされるあたりについては、ちょうど疾患のメカニズムに相当する部分ぐらいのもので、それは微々たるものだと思う。

 このように考えられるというのも、それだけ〔人格〕や〔人間原理〕が崩壊し、解離現象がそれだけすすんでいたからだろうが、仏教思想学ではこれを六道から〔解脱〕した状態といい、内省を清浄化し続けた上で獲得できる〔「無」の境地〕にあたるものになる。だが、その物理過程上では、〔人格〕や〔人間原理〕を完全に崩壊させなければなし得ないものであるので、例えば実践仏道の門下に入門している修行僧など、そのような環境下に強いられていたり置かれていない以上は、生物学上で考えても、少なくとも、誰しも勧められるものではない。しかし、内省上の自然淘汰の過程でその能力を獲得できている場合には、生きていくのが非常に楽になる。


 妊娠期から幼児期までの認知発達障害についてや、成長過程や生涯におけるまでの各障害については、先々、このブログで取り扱う予定にしているが、前書きの前文はここまでとして、これから〔パーソナリティ障害〕についての自身の見解を示して行こうと思う。

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posted by 0≠素子 at 17:50| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

ムッと来たわけじゃないけれど…

 リサーチ途中で、『CPTSD/人格障害の自覚・病識のある方へ - 蒼穹』というのを読んで、自分の場合は、ちと違ったので、この一見について考えてみようと思う。

 引っかかるところといえば、「絶望的なまでに困難である(少なくとも、一人では不可能)と言ってよいでしょう。」といった部分について、自分の場合は、〔被虐待児で障害を抱えている上で、生まれてからずっと、被虐待児症候群の経歴をもつことから障害を引き起こしていた父と、良妻賢母の性質を強く持った母だったことから子を守ろうとした母との絶えない夫婦喧嘩の間で、一人で物事の道理を考えて1から組み立ててやってきて改善させることに成功した〕という事実があることにある。

 次いで、「身近に、問題を共有し、理性的・論理的・批評的対話ができる仲間(つまり、馴れ合い・傷の舐め合いに堕することなく、自覚化/直面化を互助できる仲間)、および、インストラクター(指導者)/インタープリター(解説者)/ファシリテーター(促進者)の役割を果たしてくれる人間(つまり、日常的に、生活全般にわたって、きちんと指導・管理・保護してくれる人間)が必要です。」といった部分については、自分の場合は、そのような環境には恵まれていなかったが、環境に恵まれずとも問題を改善したという実歴があるので、その一例として次に示す。

そんな環境がなくても、〔気がついた子供の頃から、長い時間を掛けてリサーチを行って自分で対応してきた〕ということにあり、父が抱えていた問題改善については、祖母の育て方が原因で被虐待児症候群の経歴を被ったことが原因で生じていた父の障害(個人が持つ障害や胎児期から幼児期までの虐待を含む)が改善するまでに至ったその時間は30年近く要した。

 これに対し、被虐待児症候群の経歴をもつ父親を持つといった意味合いでは、二代目となる被虐待児症候群の経歴を持ってしまった自分自身に対しての受け皿というのは、経済的な生活苦の環境などから、結果的に全くない状態で、潔癖症かな完全主義なる両親のスパルタ教育で自身は育った。

 それは、〔一人っ子だから一人で生きていけるように〕といった母のスパルタな教育方針が、〔実際に一人だから、自分ひとりで何でも対応しなければならなかったため〕自身に追い討ちを掛けることとなって、強く生きるしかなかったのだろうが、そもそもの由来は、次のようなことからに始まる。

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posted by 0≠素子 at 22:00| Comment(0) | 私的な見解について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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